【30】Poland:ポーランドで見つけたCOOL JAPAN!

2010.12.13

アウシュビッツ訪問から学んだこと。

 

 この旅を通じて、目の当たりにしてきた、

世界で起きている問題の数々。

 

 

タイのタクシン派によるデモから始まって、

チベット問題、パレスチナ問題、等々‥。

 

 

その多くが、民族同士の争いでした。

 

 

そんな民族問題の中でも、

人類が犯した最大の過ちの一つの残骸が、

アウシュビッツ強制収容所』ではないでしょうか?

 

 

ナチスドイツが、国家政策として

ユダヤ人を排除しようとし、大量虐殺を行った場所。

 

 

同じ人類として、この惨劇は見ておくべきだと感じ、

一度、学生時代にも訪れたことがある場所でしたが、

妻にとっては初めてだったので、再度訪れることにしました。

 

 

今回はアウシュビッツで働く唯一の日本人、

中谷剛さんをガイドに付いて頂いて。

 

 

 

 

おかげで、理解度は数段、高まり、

かつ、多くの疑問提起をして頂けました。

 

 

ってか、前回、個人で訪れた時は、

ほとんど分かっていなかったんだな、と。。

 

 

アウシュビッツはポーランドのクラクフ近郊の街、

「オシュフェンチム」という街にあります。

 

 

クラクフからの電車は、

当時、ユダヤ人たちがアウシュビッツまで運ばれた時と

同じレールの上を走っているとのこと。

 

 

バスの方が利便性は高かったのですが、

あえて、電車で向かうことにしました。

 

 

 

 

さみしげな電車に揺られること1時間半。

 

 

降り立ったオシュフェンチムの駅は、

雪景色でした。 

 

 

 

 

気温もマイナスの極寒の中、まずは歩いて、

ビルケナウ強制収容所へと向かいました。

 

 

ビルケナウとは、

アウシュビッツでは裁き切れなくなったユダヤ人を

さらに収容、虐殺するために作られた場所。

 

 

言わば、アウシュビッツの第2収容所のようなところです。

 

 

その入口は、

ひっそりとした雰囲気で佇んでいました。

 

 

 

 

中に入ると、アウシュビッツの数倍の広さに、

収容棟が無数に建てられています。

 

 

 

 

この収容棟に、

入り切れるだけのユダヤ人が押し込められ、

 ドイツ企業などの末端の作業を強いられていたんです。

 

 

その内の一つの収容棟に入ってみると、

3段ベッドが所狭しと並べられています。

 

 

 

 

この一つのベッドの上に、

5人寝かせられていたんだとか。 

 

 

ただ、ここに収容された人たちは、

労働力になる一部の人たちだけでした。

 

 

労働力として認められなかった14歳以下の子供とその親や、

収容しきれなかった多くのユダヤ人たちは、

運ばれて来るや否や、殺されたのです。

 

 

その選別をしていた場所には、

当時使われていた貨物車両とレールが残されています。

 

 

 

 

ここで、軍の医者によって選別され、

労働に適さないと判断された場合は、

そのままガス室へ連れていかれました。 

 

 

 

 

今でもその場所には、

絶えず花束が置かれています。 

 

 

 

 

 その大量虐殺を行った現場のガス室は、

ドイツ軍が証拠隠滅のため破壊していったとのこと。 

 

 

 

 

その姿は、ありのままの姿で残されています。

 

 

そんなユダヤ人を虐殺から守ろうとした

政治犯が銃殺された『死の壁』。

 

 

 

 

その多くは、ポーランド人の活動家だったようです。 

 

 

その麓にも、多くの花束と、

ユダヤ人による追悼の意を込めた石が置かれていました。

 

 

 

 

そして、舞台はアウシュビッツへ。 

 

 

入口には有名な、

 

 

『ARBEIT MACHT FRET』

※働けば自由になれる

 

 

と、ドイツ語で記したサインが

掲げられています。

 

 

 

 

収容棟のつくりは、

後から作られたビルケナウよりは立派なものでした。

 

 

と言うのも、当初のアウシュビッツは、

ユダヤ人を虐殺するための場所ではなく、

ドイツに歯向かった政治犯を収容するのが主な目的だったようなのです。

 

 

それが、後にユダヤ人大量虐殺センターへと、

機能を変化させていくことになるのです。

 

 

この時、雪足はさらに強まり、

当時の労働の過酷さを身にしみて感じることができました。

 

 

 

 

12月上旬時点で、-6℃です。。

 

 

こんな環境ですから、

労働力として認められ、収容された場合においても、

たいていの人は過酷な労働に耐えかねて、

2~3カ月で命を落としていったようです。

 

 

 脱走を防ぐために、

周囲は電流が流れる有刺鉄線で、

2重に囲われています。

 

 

 

 

収容棟の一部は見学することができ、

中には、当時押収されたカバンや、 

 

 

 

 

大量の靴などが展示されています。 

 

 

 

 

親族がことごとく殺されてしまったため、

戻す先がないとのことなのです。

 

 

そして、こちらには大量虐殺の現場、

ガス室が当時のままの姿で残されていました。

 

 

 

 

この狭い部屋の中に、最大900人が押し込められ、

殺虫剤として使われていた毒ガス・チクロンBが撒かれ、

10~20分かけて殺された、とのこと。

 

 

 

 

そして、その死体を流れ作業のように、

隣の部屋の焼却炉で焼いていったんだとか。 

 

 

 

 

しかも、その作業を担わされていたのも、

同じユダヤ人。

 

 

同胞が同胞の虐殺を

手伝わさせられたのです。

 

 

こうして、統計がとれているだけでも、

110万人のユダヤ人がここで虐殺されました。

 

 

 

 

戦時中とは言え、 

人間は、ここまで残酷になれるんですね。

 

 

 霊感のまったくない僕でしたが、

中ではゾクゾクしたし、

はっきり言って人間の残忍さに恐ろしさを感じました。

 

 

我々は、この歴史から学ばなければならないわけで、

 何故、こんなことが起きてしまったのか?

を考えることは、非常に重要です。

 

 

背景として、

ナチスドイツを生み出したヒットラー

民主主義による公正な選挙で選ばれた党首だった、

ということ。

 

 

第一次世界大戦の敗戦で、

世界から巨額の賠償金を要求されていたドイツは、

1929年に始まった大恐慌により、

危機的状況に追い込まれることになります。 

 

 

 失業率も高まる中、

失望した人々の期待を背負ったのが

ヒットラーだったわけです。

 

 

当時の状況は、

今の経済不況の世の中においては、

十分に起こりえる状況ではないでしょうか?

 

 

そんなヒットラーは、

ドイツが混迷を極めているのも、全てはユダヤ人のせいだ!

と、決め付けたのです。

 

 

エルサレムからヨーロッパ中に移住をしていたユダヤ人は、

当時、汚い職業とされていた金融業などに就いていた人も多く、

経済危機をそんなユダヤ人になすりつけることは容易だったのでしょう。

 

 

ただでさえ迫害を受けていたユダヤ人に対する感情は、

ここで一気に噴出することになったのです。

 

 

ここにも、人間の性が垣間見えます。

 

 

僕ら日本人の韓国に対するライバル感情や、

最近、噴出している中国人の反日感情

 

 

こういった潜在的に眠っている感情は、

危機的状況に追い込まれると、

思いっきり露呈してしまうということ。

 

 

ここに社会的強弱が加わると、

強者が弱者をいじめる構図に必ずなります。

 

 

恐らく、人間のこの感情を押さえることは、

不可能なのではないでしょうか?

 

 

それが人間が抱える、自然な感情だからです。

 

 

人類が作り上げた最良の体制と呼ばれていた

民主主義で選ばれた党首が、

人間の感情を揺さぶって行った大量虐殺。

 

 

それでは、喰いとめることはできなかったのでしょうか?

 

 

僕が感じた一番大きな問題点は、

その実態を知っておきながら、

見て見ぬふりをした"傍観者"が数多く存在したこと、です。

 

 

映画化された「シンドラー」のように、

ユダヤ人を救った人もいたことは事実です。

 

 

ただ、その数が余りにも少なかった。

 

 

確かに、戦時下ですので、助ければ、

自分の身に危険が及ぶこともあったという状況はあったでしょう。

 

 

それでも、人間の尊厳を考えた時、

行動に移せる人がもう少しいるべきだったのではないかと。

 

 

それは、今のこの世の中に対しても、

同様のことが言えると思います。

 

 

混迷を極める政治、広がる貧困問題、地球温暖化など、

世界、ましてや日本にも腐るほど問題はあるのに、

それに対して、"傍観者"が余りにも多すぎるという実態。

 

 

特に、今の状況は殺されるわけでもなんでもないのに。。

 

 

もちろん、自分含め、です。

 

 

まずは、自分のできることから少しでも努めていくことの重要さ。

 

 

それが、民主主義の中で、

暴走していく社会を少しでも変えていく

唯一の手段なのではないかと。

 

 

そんなことを、このアウシュビッツ訪問で

強く感じたのでした。

 

 

 やっぱり見て見ぬふりはよくありませんね。

 

 

長文になりましたが、

もし機会がありましたら、

是非一度、アウシュビッツへ訪れてみてください。

 

 

人類として見ておくべき場所だと、

改めて思いました。

 

 

2010.12.13 Monday | 03:44 | comments(6) | trackbacks(0) | by KOJI